再発「ええやんええやん」
このブログを書いていたのがもう三年も前、私も三十路半ばになった。うん。色々と、生活は激変した。彼と二十四時間共に過ごす生活に慣れきってしまったし、あの人とは縁が切れてしまった。
でもそれがなんだっていう、ね、基本、ここで私としては「時が経っても私は私だぜ」ってかっこよく言いたいこと山のごとしなんだがな、ちょっと無理だわ。つかそういう「ビョーキ」だし、そもそもの話人間は否が応でも変わる。変化する。偉そうに言うことでもねーけど、な。
今私は彼と一緒にドトールにいる。
ああ、唯一変わってないことがあるぞ。私はまだ小説を書いている。
(とりとめのない、当たり障りのない話の何が面白いの?)
でも過激でセンセーショナルなものを書いたとして、いや、書けるし書きたいんだけど本当は、でもそれって危険な飛び道具だと思うよボクは。
病歴20年目に突入した私のメンタル面、ぶっちゃけ悪化、入院を勧められるも何度も拒否って拒否って拒否って(だからって見捨てないでください先生)。
そして、自分の親について、
「お? どうやらやはり彼女は『毒親』というカテゴリーにフィットしそうだぞ?」
と気づいた。遅い。
しかしジレンマ、今の私にはトーキョーシティの自宅か、彼女と親父サマとまん丸な兄弟がいる「哀愁のチバラキ」にしか、居場所も逃げ場もねぇ。
彼のことは伴侶として心から愛している。
それでも、現状、とりま今は、チバラキとトーキョーを行ったり来たりしているこのザマだ。
理由? ファッキン・マネー関連の問題だよ。
本当のことを書こう。
私は彼を心から愛していて、彼も私を好いてくれているのに、嗚呼、たかが金、されど金のために別れないといけないかもしれないのだ。
そんなブルシット、普通なら(Should I say "健常者なら"?)、一笑に付される相談。
「じゃあ働けよ」
そう、それ。
私も彼も、今はバリバリ働けない。私は少しだけ書く仕事をもらっているけど、生活費にほぼ消える。障害基礎年金ももらい始めたが、彼らの援助なしではまだ暮らせない。
マジでブルシットだな。
いいニュースがある。
去年の八月に某アプリで知り合った、Lというアメリカ人女性と激烈に仲良しになり、毎日彼女と会話することで英語力があっぷっぷ。いやはや、この年でまだ伸びるとは思ってなかった嬉しい誤算、計算?
今の生活は正直キツい。
ここに戻ってきたところで、弱音の大吐露になるんじゃないか、なんて説もあったけど、はっ、舞い戻ってきやがりましたよ。よろしくどうぞ。