日々の思考の公開処刑

集めたりしないで

本能的絶対的支配的なアレ

 よく、「一番古い記憶は?」といった質問だったり、幼少期の思い出であったり学生時代の四方山話であったり、もしくは数日前の会話の内容であったり前日の晩メシであったり、要するに覚えていること、思い出、脳内のデータ、端的に言う記憶、というやつに阿呆のように困らされている。これは十代後半からどうしようもない欠陥を負ったような感じであって、病気といえば病気のようなものなのだが、脳が記憶しているかは別として私自身の実感として言うのなら、私にはあんまり記憶がない。長期も短期も関係なく無差別に、要するに幼稚園時代のエピソードから今朝食ったものまでのレベルで、忘れてしまうのだな。それを嘆くのにはとうの昔に飽きたし、だからこそ書くことにここまでマジになれるのだけども。

 

 半年前だったか一年前だったか、とりあえずまだ実家に居た頃だから五ヶ月以上前の話だ。ある日突然、幼少期の記憶がぶわっと、断片的にだけどぶわっと、この部屋の床のホコリを突風が舞い上げるかの如く、我が脳みそに蘇ったことがある。まるで記憶にないことなので心底驚いたし、やっぱ私は記銘力における「想起」部分に問題があるだけなのかな、なんてことも考えたのだがしかし、その記憶の内容がまた、自分でも情けなくなるような彼女絡みの話で、ああ、私は母親のことを彼女と書くことにしているのだけど、とにかくいたたまれない感じに陥って、多分やけ食いとかしたはず。

 

 私は家族と共にディズニーランドに居た。ディズニーシーなんてものがまだなかった時代、両親と弟と一緒に、ミッキー暴君の支配下に、恐らくは休日、赴いていた。因みに、弟が居る、ということは、奴は私の三つ下であるからして、私は最低でも三才か四才ということになる計算。とにもかくにも、ミッキーの所で我々が何をしていたかというと、何らかのイベント、催し物を見るために並んでいるのである。しかし今も昔もミッキー殿の人気と来たら筆舌、尽くし難いというかもはやヒツゼツって発音出来ないくらい強大なものであるので、幼児である私と弟は前方のステージらしき箇所で何が行われているのか、肉眼で確認することが不可能なのだ、人が多すぎて。

 ところで彼女は昔から足腰が悪い。我が家の家訓は幾多あれど、母親を歩かせないこと・母親にものを持たせないこと・母親に立ち座りさせないこと、それらが、少なくとも日常生活のレベルにおいては最強の掟であった。余談だが、彼女が何かものを落とした時、それを拾うと腰に負担がかかるが故、私にはものを落とした女性が居たら即座にダッシュして拾って差し上げる、というよく分からない身体的本能的絶対的な癖がある。

 幼児である私と弟は、物理的にステージ、だと思うんだけど実際のところは分からん、とにかく前方の催し物を見ることが出来ない、ここまで書いた。うん。それで結局どうなったかというと、父親が弟を、彼女が私を肩車して、ミッキーとその仲間達の愉快なお遊戯(推定)を見せてくれたのであるが、私はちっとも嬉しくなくて、それどころか心境は真逆、これは今思い出しても極北であって、彼女に身を預けている、自分の体重を預けている、重いものを持たせている、長時間歩くこともままならなかったりする彼女に私は何たる仕打ちをしているのだ、と、自分を責めて責めて涙目で責めてミッキーなんてもはや見えやしねえ。

 

 という記憶が蘇ったんだけど、うわあ、これは三十年弱経った今でも暗澹たる気分になるよね、二重の意味で。つまり、幼い私が思ったように、先ず彼女に対する自責の念で暗澹とし、同時に、彼女のことを過剰に思い悩む自分が三十路の今になっても大して変わっていないという事実に更に暗澹、といった具合である。彼女にとって子離れが現在の課題であるように、私にとって親離れは十五年くらい前から最大の関門。愛情って過剰は過剰で大変なのだよ、という実例としての私。