日々の思考の公開処刑

集めたりしないで

結婚シューカツふぁーらうぇい

 物心ついた頃から結婚というのは大人がするものだと思っていて、ある程度成長しても周りに既婚者があまり居なかったことも相俟って、ちょいと前まで結婚なぞ私には縁遠い事柄、まあ一緒に歩けるパートナーのような存在は欲しいけど別に籍とかねぇ、一緒に居られればそれでいいじゃない、と思っていたのだけど、五日ほど前から、ワタクシ、結婚したいのです。

 

 彼という恋人とお付き合いするようになって、一緒に住むようになって、結婚はまあ両親への建前というか、諸々が落ち着いて気が向いて各種手続きをする余裕が出来たら恐らく、なんてのんびり思考を繰り広げていた訳であるが、年が明けてちょっとしてから彼が酷い風邪を引いて十日ほど寝込んだ。高熱に次ぐ高熱、体温計は39.5℃という数値を叩き出し、瞬間的には恐らく40℃にまで達していて、私は人生初看病に身も心もヤラレながら奔走したのである。

 でだね、その際に、例えば病院に電話なんかする時に、「同居人が高熱で」とか言わざるを得ない訳だよ。「同居人」て。「恋人」とか言っちゃうと一緒に住んでるという事実が伝わらんし患者の恋愛模様なぞ治療には関係ねーわと思われるでしょう、でも一緒に住んでいるとなると最悪私にも感染のリスクがある訳で、その辺りはきちんと先方に伝えたかったから「同居人」と連呼していたのだが、しかし「同居人」と言ってしまうとこちらが恋愛関係にあるという事実は伝わらん訳でしょう、そこは主張しておきたいポイントであるのだが。そういう時に「夫が」とか「妻が」と言えるのは、先ず一つ利便性が高いのだ。

 

 そして、彼が熱でうんうん唸っている間、出来る限りの看病・処置をして、寝顔を見ていても熱が下がる訳もなく、仕方なくキッチンに座り込んで煙草など吸ってみる。その時に、何しろ私は常に最悪の事態を想像力豊かに想定してしまう悪癖があるから、彼が死んだらどうしよう、こう思った訳で。縁起でもない考えだし風邪ごときで大袈裟な、と思われるかもしれんが、その時は風邪かインフルエンザか両方かはたまた別の病気か分からなかったのだよ。とにかく私は彼に万一のことが起こった時のことを思った。付き合っているし、当然好き合っているし、一緒にも住んでいる。しかし入籍はしていないので、世間様々から見れば我々はもはや完全なる「他人」なので、極論を言えば同じ墓に入れないし、例えば彼が出先で倒れたりとか事故に遭ったりしちまった際、ご家族に連絡は行っても他人の私に伝わるかは極めて微妙。そう思ったらね、「他人」は嫌だなぁ、と歯痒さにも似た痛烈な無力さを実感したのである。

 

 よって、彼の「他人」から脱却するには、もう入籍、結婚という手続きしか残されていないのだよ。じゃあとっとと籍入れろや、と思われるかもしれないが、結婚、結婚は大人のすることであって、三十路の私が大人か否かはこの際置くとして、先ず経済力がない。実を言うと彼は非常に若く、彼の現在の収入だけでは二人で生活していく・家計を回すことはまだちょっと無理なのだな。じゃあとっとと働けや私、という話に当然なってくるのだ。シューカツはしてるけど諸々の労働条件が多すぎる私には、いくらトーキョーといえどすぐさま食いぶちを見付けてオゼゼを稼ぐ、というのは、トライはしておるが、ちょっと難しい話だ。労働が原因で精神科に入院したことが八年経った今でも痛々しい記憶として呪縛として私を封殺しておるので、それに働くなら長く続けられる仕事が当然よいし、とにかくシューカツ難しい。なんというジレンマであろうか。

 

 だが焦ってはいかん、と自分に言い聞かせている。結婚もシューカツも、私の症状の一つである「衝動行為」であるとか或いはDP/DRであるとか、はたまた単なる怠惰であるとか、そういったもので容易にノリっつーかモチベーションがひょこひょこ上下するからだ。それでも焦りの渦中に居る時は自分が焦っているという事実も自分では把握し切れないことが多いのは、皆さんご存知の通り。精神科の前の主治医に、「高い目標ばかり追って自分の足許が見えていない」と言われたことがあるのだけど、まあ目標設定もモチベーションになる場合と自滅のプレッシャーになる場合があるから、期限とかは設けずに、結婚というイベントを、そう、何らかの通過点としてひょいっと先の方に置いておきたい次第。