日々の思考の公開処刑

集めたりしないで

ただ、歩った

 今朝、地震があってまあ震度は3程度だったのだけど、震災以来地震というものが本当に本当に絶望的なまでに恐くなってしまっている私は余震を恐れ結局四時間半くらい恐がっていて、色々気分転換は試みたのだが空は灰色、今日は晴れるんじゃなかったんかいと天気予報にぶつくさ言っていたら日光が出現、少しゆるんだ。しかし四時間半も陰鬱とほぼ無駄に、時間を過ごしてしまったこと、家事は多少したけどあのヘドロのような時間を四時間半も、嗚呼、怯えすぎである。

 彼は風邪で長く仕事を休んでしまったため、取り戻すのだと言って残業残業帰りが遅い、今日も多分遅いのだ。独りなのだ、私は。先ほど地震の恐怖に溺れながらふと、これはいやはや、私が暇だから無駄に辛いのではないだろうか、外に出たり働いたりといった責務があればもっとパキッと気分が変わるんではなかろうか、とも思ったが、逆にいやいや、こんな状態ではまだ外に出るのは恐い、病院送りだけはもうご免なのだとメビウスの輪、それをぐるぐるとしながらアイロンをかけた後、某バンドのライブDVDなど鑑賞しつつ、友人と話したり。まだ午後二時過ぎだというのにもう日光が斜めになってきていて非常に切ない。傾きすぎだろ、陽光。

 今猛烈に絲山秋子さんのエッセイが読みたいのだけども、小説はあらかた所持しているがエッセイは一冊も持っていないと気付いてショックを受け。いっそ買いに行くか、ついでに近所の喫茶店にでも行って読むか、と気持ちが盛り上がり、マフラーや耳当て、手袋といった防寒具を身に纏ってみたもののどうも腰痛がじんわりと来ているので動くのも恐い。しかし絲山さんは読みたいのでやはり近所の本屋に行ってこようかと思う。

 小規模な本屋を三軒巡ってみたものの絲山秋子さんのエッセイはなかったのでとりあえずドトールに来てみて「アイス・キャラメルラテ」なるものを妙に妙に飲んでみたくてオーダーしてみたらございませんと断罪を食らう。甘いものが飲みたかったので「ハニーカフェオレ」とかいういかにも甘そうなもののアイスを頼んだ結局のところではあるが、これ蜂蜜の風味がするだけでガムシロップを二つ入れてようやく甘くなった程度。しかもSサイズがなかったので長居するつもりはなかったのに無駄にボリューミーなものを買ってしまった、飲み切れるのかこいつは。

 陽光は相変わらず傾いている、と書きたいのだがこの店のこの一角には窓がないのでいまいち実感として分からない。右隣では背広を着た中年男性が文庫本片手に紅茶と思われる何かをつまむように飲み、左側には割と、少なくとも私よりは年のいった男女がおるのだが、彼らは親子のようにも戦友のようにも見えて、男性の方はちらりと見た感じいかつい外見なのだけど喋り方がとてもフェミニンでよいなぁと思う。視界の左側、下の方に彼の真っ赤な指輪がちらちらと見え隠れ。またもイヤホンをしているため会話の内容は把握出来ないが、彼らが政治の話をしていようが恋愛の話をしていようが戦争の話をしていようが育児の話をしていようがどれもこれもこのドトール、喫煙席、窓のない少し閉塞感のあるこの空間にはそぐわしいもののように流れている。

 さて、呑気にしているが時刻は午後三時を過ぎた。私には夕飯作りという過酷で人道的で真っ当で過酷な任務がある訳だから、彼の帰宅は恐らく四時間ほど後のことなのだけども、私は正真正銘の小心者・心配性・石橋を叩き割って溺死タイプの人間で、もう献立を決めないと後が恐い。私個人としては挽き肉など食べたい気分、ハンバーグとかいいじゃない、野菜は何があったかしらん、と考えるのであるが、よくよく想起してみれば昨夜もタコライスという挽き肉料理であったので、というかそもそも彼の肝臓のためにしばらく魚料理のレパートリーを増やそうと決意したのではなかったのかい自分よ、というところまで至り、後ほどクックパッドに睨めっこを挑もうか。悠然と。

 この店内に居る二十名ほどの彼らのことを思うと胸の側部をピンセットで摘ままれ引っ張られるような、ハニーカフェオレの微妙な甘さが苦く感じられるような、このまま夕飯ブッチして彼らが出たり入ったり読んだり話したりした後、最後の店員が諸々の店仕舞いをしシャッターをがらがらと下ろすまでを俯瞰図で見ていたいといった気持ちになる。二十名ほどの彼らには、恐らく帰る場所があり、店員たちもまた然り、ここはいわば暇潰しの場であったりまた休憩所であり通過する場所でありないしは会議室であって、誰もここで眠らない。そんな所で無駄に大きなグラスのハニーカフェオレの残り半分を眺めながら私、早く日が長くなんねえかなとそればかり、太陽のことばかり考えて、クックパッド放置。