日々の思考の公開処刑

集めたりしないで

私はただ

 昨日は書き物が進んでえらくテンションが上がって、でも書くことだけで自己価値を上下させてはならんよね、と自分に言い聞かせた。書けなくても私は私であって、それはそれで充分に許されるべき真実なのだ。まあ、書けると嬉しいけどね、それでも。

 そんで今日は、あと三十分ほどしたら精神科に予約の電話、その前に洗濯物を干したいが、それからバイトの最終的な合否連絡を待たなければならない。結局バイト結果は一週間待たされたわけだが、嗚呼、受かっても緊張とか酷いんだろうな、とか、なんか今から目も当てられない有り様。それでも仕事を始めれば、つまり外に出て人と会うようになれば、平日の気分も、そりゃ最初は厳しいだろうけど、少しは良い方向に進むんでないかな、と期待もしている。頭の切り替えがホントに大事になってくるけれど。

 紐の千切れた靴には新しい紐をつけた。

 それにしても寒い、昨日今日は比較的暖かいという話なのに暖かくてこれかよと天にキレたくなるレベルのこの寒さ。嫌な予感は今からしていて、この部屋、夏はすげえ暑くなるんだろうな、と。特にキッチンは二面が窓だから、夏場に食物を放置でもしようものならすぐさまダメになるだろうし害虫の類も発生するに違いない。前に一度出ましたけどね。

 ◇

 洗濯物を干してから精神科に電話すると、前の医者の紹介状ではなく今かかっている病院の書類が必要だから手配してから再度連絡するよう、言われた。電話越しの女性はとても早口で、申し訳なさそうな態度は一切見せず、言うのだった。一度でもかかっているならですね、その病院で紹介状を用意して頂かないとこちらも予約を取れないんですよ。その早口ぶりに恐れを抱きながらも、仕方ないので今かかっている病院に電話したものの、担当医のスケジュールの関係で書類が出来るのは早くて土曜の午後と言われる。しかも転院なら転院と言ってくれないと書類を作れないけどどうなの的なことを聞かれ、もう転院でいいやと思ってお願いした。それから再度、今度かかりたい病院に電話。去年まで通っていた病院からの紹介状はある、早く診てもらいたいから予約を、と言いかけたら、ああ、先ほどお電話頂いた方ですか? 一度でも別のお医者様にかかってらっしゃるならそこの書類が必要になりますので。思わず頭を抱えて黙り込むと、書類が出来次第またお電話下さい、と言われ、通話終了。

 酷く疲労し狼狽してしまい、ベッドで気持ちを落ち着けようとしていたら彼女こと母親から着信。前にバイトで関わった所で問題が発生したとの知らせ。調子が悪いのかと問われたので、書類が必要ですぐには診てもらえないのだと言うと、まあゆっくりのんびり探せばいいじゃない、とか何とか返されたのだが、気付いたら私は分かった分かった分かった分かったと連呼して電話を切っていた。

 今しんどいのに、どうして。書類とか。しんどいからケアして欲しいのに。凄く理不尽な気がして、でもしんどいことに変わりはなくて、嗚呼バイトの合否連絡までに立て直さないとと思ったけど簡単ではなく、勢いで前のバイトの云々は電話して片付けた。

 今日も昨日の続きを書くつもりだったけど、妙に心細い。こんなんで動ける・働けるのだろうか、といういつもの自問。私はよくなりたい。

赤い日、千切れた靴紐

 今日は赤い日だけれども彼はどういう訳か出社したのでまた部屋に独り、日光がとても暖かくてそれだけで涙が出るほど安堵する。BGMは米津玄師の「アイネクライネ」、ニューシングル買ったくせに妙に聞きたくなった。
 昨日一昨日はメンタルが大変なことになっていて、一昨日は実家に「行った」のだけど、滞在時間一時間未満でトーキョーに「帰って」きた。私もトーキョーに染まりつつあるのか、最寄り駅に降り立った時のほっとする感じは大変なものであった。

 バイトは少し妙な展開を迎えているのだけどまだ不採用決定ではなくて明日の連絡を待つことになっていて、今日は世間は祝日なので、何も考えない。
 精神科を変えようと思っていて、自立支援の更新手続きもあるから色々ややこしくて、昨日はその問い合わせやら何やらですっかり疲弊してしまった。役所の手続きってやつは何故こんなにも困難なのか、そう思うと入籍とそれに伴う諸々も大変そうで、でも負けずに彼と一緒にやれればいいなと思う。

 テーブルの右側の窓、磨りガラスが日光でちらちらと光っていて、白いカーテン越しにもそれは明らかで、そろそろエアコンを消しても平気かな、と空気に相談する。

 実家からトーキョーに戻ってる時、乗換駅で左足がすぽんと抜ける感覚が走って、何事かと思ったら靴紐が千切れたのであった。不吉。十年近く酷使してる靴だから紐は寿命だよね、と思って昨日靴紐を買ったのだけどまだ付け替えていない。あの靴はまだまだ履くけど。

 私は、私はね、まだそれなりの、まともな治療が必要だと思うのだよ。この三ヶ月、薬だけで何とかやってきたけど、このところのDP/DRだとか連続性のなさ、情緒不安定を鑑みるに、やはりある程度話の分かる精神科医と話して処置してもらわないと今後を考えても辛いな、と、実感して。

 私は何を書こうとしていたんだっけ。

 書き続けたいな。そう思えど、自分が望むように筆は進まない。葛藤ジレンマ葛藤懊悩。バイトが決まっても書くことと両立させたい。まとまってないけど投稿してしまえ。

今日も元気にアンリアル

 嗚呼、雨である。この寒さに加えてこの雨、全く酷い仕打ちである。今日は彼が実家に帰っていて、いや私も当初は伺うつもりではおったのだが、昨日から気分的にも身体的にも不安定、これ不調と称して誤りはないレベルの有り様であって、自らお留守番の役を買って出たのである。パソ子の設定もしたかったしね。

 そう、パソ子。新しいPCを結局購入したんである。パソ子と命名し愛でているのである。ラブリーなパソ子、嗚呼パソ子、美しいパソ子、私はいつかおまえの価格に見合う、いやそれ以上の価格を自力で得てみせます、と愛を語るのではあるが、先日面接に行った企業から結果連絡はまだない。金曜の時点で少し遅れるとは言われていたので、希望は捨てずに待つつもりではいるのだが。が。

 入籍日を決めた辺りから、現実感が希薄というか夢の中にいるかのような、要はDP/DRな感じ、私以外の世界は不透明な膜で覆われていて私はその膜にふるんふるんと恐々触れているかのような、とにかくアンリアルな感覚があって、それはもう大変な不快感・不安感・恐怖感を招いていてしんどい。私は、つまり今トーキョーの片隅で、愛しいパソ子に向かって指をパタパタとさせているこの私は、果たして本当に実在するのであろうか。雨音が激しくなってきている。音楽は流しているが、イヤホンにした方がいいだろうか。そういえば昼飯を食べていない、作る気力もない、口を開けて咀嚼して嚥下することに気乗りしない。

 昨日パソ子を買う前後もメンタルはこんなもんだった。今より酷かったかもしれない。でも買ったものは買ったのだ、入籍すると決めたのだ、今日は留守番すると決めたのだ。しかしそれら選択がことごとく誤っているような、妙な後悔と焦り。まだサザエさんシンドロームには早いのだが、この寒さと雨で私はかなり妙なことになってしまっている。さっき気分が変わるかと思って滅多に見ないテレビのスイッチを入れてみたんだけど、液晶に映る人々の方がそれを眺めている自分自身より確固たる存在、ちゃんと根っこがあって生きている、という保証がきちんとなされているかのようで、ますます悲しくなった。悲しい世界で今日も私は?

物欲をアイスラテでどうにか

 また雪だと言われていた今日、快晴、暖かい。だがどうしてか、自宅に居るとどうも息が詰まるというか今は落ち着かない感じ、恐らくバイト面接の合否連絡を待っているというのも要因だろうが、とにかく居られなくなってまたもドトールに居る。店の前には買い物かごやチャイルドシートが完備された自転車が置いてあって、それは店の奥のこの席からでもよく見えて、日光にてらてらと輝かされている。

 新しいPCを買いたい。いくら彼が自由に使っていいと言ってくれても、まあ今も彼のPCを借りて書いてるんだけど、やはり気が引けるし完全に自由には使えない。「自分のお金で買うことに意義がある」と書いた気がするけれど、昨日から少々衝動じみた欲求が出ていて、彼ら、つまり両親は好きなようにすればいいと言ってくれてる、のだが、自分のお金で買うと息巻いていたのにそう易々と甘えてしまっていいものかと逡巡ひたすらに逡巡、嗚呼どうしよう。彼は買ってもいいんじゃないかと言ってくれるし、まあ私としては少なくともバイトが決まったら、くらいには思っているが、その連絡がいつ来るか、今日か明日なんだけど、もう古いPCのキーボードとUIには飽きたというか、それでも壊れたりした訳じゃないからやはりどうも、と彼女に言ったら、私が新しいPCを買ったら彼女が残った分を使いたいと言い出した。それはそれで平和的ね。
 通院に関する手続きで来週実家に帰ることになったんだけども、気の早い私はこの週末で新PC買って手続きに帰る日に今のPC持って帰ればいんじゃね、とか思ってしまっている。これも衝動か、うむ、「衝動を抑えること」は去年の目標だったんだけど、ホントにね、衝動に憑りつかれるとそれが自分でも衝動だとは分からないこともあるし、後ですげえ後悔することもままあるし、でも昨日よりは冷静だと思う、その上で、嗚呼PCが欲しい。

 二つ隣の席で、関西弁で育児の苦労話をしていた女性二人が去って、店内はえらく静かになった。イヤホンはしているけど、いつ電話が来てもいいようスマホは肌身離さずに。パーティションの向こうでは私と同じようにPCに向かって作業をしている男性が居る。

 最近あまり本を読めていない。川上未映子さんの「発光地帯」と絲山秋子姉御の「絲的炊事記」はちょっと前にあっさり読了して、気分的にはクレジオの「物質的恍惚」を読みたい随筆モードなのだが、「発熱」をまだ読了していないからそっち優先かな。しかし先日彼とカフェ読書に行った際、「発熱」を読みかけて気持ちが不安定になってしまったからちょっとした恐怖心みたいなものもある。別に内容のせいで気分を害した訳では断じてないんだけど。
 とか言いつつ、今は何も本を持ってきていない矛盾。

 ちょっと、とっ散らかっている。頭の中。彼との将来のこともあるし、そのための自分の職探し、今この瞬間で言えば合否連絡、ダメだった場合の更なる職探し、実家での手続きとそれに必要な書類手配、来たる入籍日までに必要な段取り等々、今すぐ具体的に動くわけではないけどやること・やるべきことはたくさんあって。しかし待つというのは苦痛だね。特に何かの合否なんて心臓がひるひると根を上げてしまう。家事も勿論ある。自分のための書き物もしたい。地に足ついてない感覚がある。浮かれているという意味でも、色々な形の予期不安という意味でも。でも本音を言うとこんな自分がちょっとばかり嫌でもある。入籍日を決めて、まあ浮かれすぎてもいけないんだけど、これから気を引き締めて頑張ろうと思った矢先に自宅で不安定になるというのは、私は少々残念というか、先が不安だ。

 いつの間にか店の前の自転車がなくなっていて、もしかしたら先ほど育児の話をしていた女性のものだったのかなと思って、彼女の娘があのシートに座るのかなと想像して、嗚呼、今日も良い天気。

バイト面接前に

 今日は昼からバイトの面接があって、連絡を受けた時は全く平常モードだったのに、予想通りというか何というか、時間が近付くにつれて徐々に緊張が増してきていて手が震えている。幸い担当してくれてる人が非常にひょうきんな方で、面接は緊張するけどその方にお目にかかるのは楽しみでもある。社会人経験がないことも、「そんなに恐縮することじゃないよー」と言って頂けた。ああいう人が居る職場なら、ギチギチとした所よりは幾分楽かな、と思うので、面接は気負わずに全力で頑張りたい。

 今は自宅に居るのだけど、またも自分のPCを放置して彼のPCでこれを書いている。彼は自由に使っていいと言ってくれたし、日々文章を書く私にとってキーボードは大変に重要なものであって、今の自分の古いPCは打鍵時の感触が気に食わないし、彼のPCはOSがWindows 8なので、メトロデザインが大好きな私は要するに早く自分のPCを自分のお金で買いたい。自分のお金、というのが重要なポイントで、何年か前、父に非常に厳しい台詞を言われたことがあるのだ。

「ものを書くもの書くと言うが、書いてるPCは俺の金で買ったものじゃないか」

 以来、自分のお金でPCを買うことは私の悲願であり、ちょっとした仕事をしてお金をもらった時に買うつもりだったのだが、その時はスマホの機種変を優先せざるを得なかった。もし今日面接にパスすれば、そこの時給だと二か月くらい頑張れば私が望むスペックのPCが買えるはずだ。当面はそれを目標に、家事もおろそかにせず頑張りたい。受かったらだけど。

 ところで月曜から宣言通り「作り置き」に挑戦していて、知人のシェアで知った作り置きレシピサイトを見て二品作ってみて、タッパーを買ってきて冷蔵庫にぶち込んである。今後私が、短時間とはいえ働くとなると、これまでのように料理に時間を割けなくなるだろうから、今から練習練習、といった感じ。今日も面接が終わったら一品作る予定でいる。

 これは自分の女子力の低さを露呈させる話なのだが、面接のために久方ぶりに化粧をした。いや、この季節、激烈乾燥肌な私は肌の潤いをキープするだけで精一杯、何か粉でも塗ろうものなら顔からフケのようなものが発生するし顔も痛い、が、面接や仕事となればやはりきちんと化粧はしたいし、まあ普段は眉毛描くだけっていうか描き忘れることすらある始末なのだけど、やはりアレだね、顔を作ると気分が変わるね。私はノーメイクでもメイクしてる時でもそんなに印象が、そんなに、というよりほとんど、変わらない性質であって、それでもそばかすや白ニキビを誤魔化してみるとちょっと違う、意識が。私がある程度きちんと化粧をし始めたのは確か2008年くらいからだからまだまだ全然下手なのだけども、それに見た目があまり変わらないせいでメイクしても彼は気付いてくれないという有様なのだが、今回のバイトがどうなるかは置いといて、今後は外出時や仕事の日は化粧をしたい。それ以前にスキンケアをもっとちゃんとしないとこの季節顔面ががさがさぼろぼろになってしまうのだが。

 外見の話だと、フォーマルな衣服をあまり持っていないので、事務の仕事に決まったらそういった仕事着も買わなければならない。今日面接する所はオフィスカジュアルというか来客時も対応出来る服装、と言われているし。まあそういう衣服はあって損はないはずだから、先行投資と思って手配するつもりでいる。という話を彼にしたら、「いつもロックですもんね」と言われた。三十路ロック、悪くない。

 いかんな、結構緊張してきた。過度な期待はせずに、気負わず、フラットに面接に臨めたらと思う。私は何しろ大げさなのだ。緊張や気負いも過度なのだ。適度な緊張感を維持して、そろそろメシでも食う。

書くことと書く環境、あと目標

 駅前のドトールは昼時だけど幸い空いていて、ジャーマンドッグを昼飯とした私は珍しくイヤホンをせずに店内のBGMと喧騒の中。このところ何を書いても座りが悪い感じがしていて、手書きのノートくらいしか書けなくて、嗚呼文章、文章はやっぱりもっと面白くしたいのだと思うのだ。そのためには訓練鍛錬が必要な訳でこのブログを作ったのも練習のためであって練習の場であるここすら納得いかなくて更新が鈍くなるのは本末転倒だと思うよ。何事も最初から完璧は無理だ。もう一年半になる。つまり、文章力を高めたいと思って色々書き散らかすようになってから一年半、未だに自分で納得出来るものは書けないのだけど、人目に晒すと意外な評価を頂いたりするから一概に全部が悪いとは言えない。私はなるべく自分の書いたものに責任を持ちたい。書く時は素直でありたいし言葉に対して誠実でありたいと思うのでそこは日々努力している。

 

 書くことと記録することは私の中で半分イコールで半分は違う。書くことで整理出来たり発散出来ることがあるのは事実で、日常では主に私は自分の感情の整理だとか事実確認だとかいった記録を書くのが主。それらは読み直さないと意味がない。だから私は結構読み直す。自分の文章、一番古いものは小学校五年生の頃のものから残っていて残していて、私はいくらそれらが用無しであろうとゴミであろうと場所を取ろうとそれらを捨てることが出来ない。

 

 私はブログという媒体が好きだ。単純に備忘録として極めて優れているという理由もあるしCSSをいじったりして好きなようにカスタマイズ出来るという意味でも好きだ。ブログは正直、多過ぎると思う、今、幾つ動かしているか数えるのもめんどいくらいある。以前臨床心理士にこの話をしたら「書く環境を整えるために、少し減らした方がいい」と言われて結構整理したのだけど、それでも片手では数えきれない。多くは公開してないし、私の中では書き分けが出来ているつもりだけど。書く環境。自宅ではなくこうして外で書くのは、気分転換でもあるし書き易い場所に自分を置くという意図もある。私はテキストエディタを二つ使い回していて、今もエディタにこれを書いている。書く環境。物凄い長文を書く時は、昔から一太郎と決めている。一太郎は基本的に明朝体で文字が表示されるのだけど、それに書き過ぎて煮詰まった時はこのエディタを使ってメイリオで書くこともある。私は外見を重視する。フォントは重要。本当に重要な書き物は必ず紙に印刷して推敲する。音読することもある。言葉のリズム、句読点の位置、縦書きになった時のレイアウト、等々を確認する。

 

 それでも言葉というやつは、まあ私のメンタルに起因する現象かもしれないけど、突然ふっとどこかに行ってしまうことがあって、スピーチレスな状態、何か書きたいのに、目の前に白い紙ないしはキーボードがあるのに、指が動かないなんてことはざらにある。もしかして私は書き過ぎているのかもしれない。全てを書いて記録するなんて実際問題無理なのだ不可能なのだ。でも私は白い紙やPCの液晶の空白を見ると言葉で埋めたくなる。その欲求・衝動は名状しがたいもので、強迫観念にも少し似ているが本質は違うものだと思う。「書かないと私はダメになる」、これは私がここ十年くらいで学んだ経験則なのだけども、つまり感情や出来事やことの経過や結果を言葉として蓄積しておかないと私は私でなくなる・自分自身が遠ざかる、という意味なのだが、彼と一緒に暮らすようになってから「書かなくてもある程度は平気説」が浮上してきている。

 

 DP/DRな感じになるのだ、書かないで居ると。現実が遠く感じられるというか、他ならぬ自分自身から断絶されるように感じるというか。だけど彼と実際に二人で暮らしてみると、家事やら二人の時間やらが割と優先されるからして、少なくとも書くことに「没頭」は出来なくなった。昔から私は書き始めると周りがあんまり見えなくなってメシも睡眠も忘れて煙草だけは忘れずに書くことだけに集中するという性質で、それはまあここ数年で治しつつあるんだけど、とにかくその頃のような「没頭」はもう出来ない。晩ご飯を作らないといけない・彼のシャツをアイロンしなければいけない・トイレを掃除しなければいけない、といった諸々が、つまりは「生活」が当然優先されるのだ。正直なところ、たまに、全てを投げて書くことだけに集中したいと思うことは今でもあるが、生活と書くことは恐らく両立出来る行為のはずで、私はそこを両立したいしもっと言えば働くこととも両立させたいのだ。

 

 届けたい人は居る。言葉というか文章というか、自分が書くものを届けたいと思う人は、一人居るのだ。あの人。あの人に届けるために書くと言うと嘘になるけど、結構なモチベーションであることは否定出来ない。だけど彼と居るとあの人の比重が、存在の比重が、何というか、微弱に狂う。彼とあの人は決して同列には並ばない存在。私は彼を心底好いているし共に生きたゆきたいと思うのだけど、それでもあの人には例外的措置が採られていて、いつか絶対届けてやると息巻く時、私は自分があの人をどうしたいのか、よく分からなくなる。距離感も狂う。私はあの人と自分がちょっとした異常事態的な感じでつながっていることに自覚的だ。中途半端につながってるからこそ、余計にきちんとした形で届けたくなる。悔しい。忸怩たる思い。

 

 昨日実家から荷物が届いて、それはお米だったり頼んでいた衣服だったりするのだが、届けてくれたのがいつも来る禿頭のおじさんで、いつもありがとう、今日は風が冷たいね、なんて声をかけてくれたんだけど、私は彼のぴかぴかの頭皮と赤っぽい小さな痣に目を奪われて、そうですね、もう雪は嫌ですね、お世話様でした、そんなことしか言えないのだった。

Nothing Comes Out

 言葉が急に私を置き去りにしてどこかに消えてしまう。何も出て来ない。私は言葉の不在にたえられない。冬の朝、真冬の朝、我が家のキッチンは何か透き通った液体、とても冷たい液状のような空気になって、私は毛穴から侵入するその冷気に負けないように泳ぐように歩く。朝六時、二面が窓のそのキッチンは真っ暗で、これから一日が始まるのかはたまた終わりゆくのかその判別も付かないんだけど、いずれにせよ液状の冷気は染みこむように私を包んで身動きすら不可能にするのだった。私はやがて昇る太陽を恋しがりながら弁当を作ったりシャワーを浴びたりするのだが、日によっては太陽は隠れ日光が届かないこともあってそういう日はホント、皮膚に気を付けて過ごす。